出逢いから2006-2007ブログの旅へ
そして今も道の途中♪
省吾さんと一緒のこの一年も、毎日が楽しみ
だね!
2011/4/25
神戸でアリーナを使った公演をするのは今回のツアーが初めてだが、
今夜のコンサート会場である「神戸ワールド記念ホール」で初めて歌ったのは、
15年前の1996年9月14日と15日の2日間に亘って行われた、
泉谷しげる氏が発起人であった「阪神淡路大震災復興支援コンサート」のステージだ。
ドラムに大友康平氏、ベースに吉田拓郎氏、ピアノは小田和正氏、ギターを高中正義氏、
他・・・多くの素晴らしいシンガーやミュージシャンが集ったチャリティーイベントだった。
オレは、その年に50歳という節目の歳を迎える同郷の先輩ー吉田拓郎氏に
祝いの気持ちを込めて、彼の代表曲のひとつである「イメージの詩」を歌った。
3月11日の地震発生後、
自分に何か復興に役立てるようなことが出来ないだろうかと考えていたところ、
ツアーが始まってすぐの公演地が神戸であることに気づいた。
神戸の人達は地震による痛手や苦しみをよく知っている人達だ。
その地で復興支援コンサートをやることは意味深いことだと直感した。
多くのスタッフの方々の素早い努力のおかげで、今日のコンサートが実現した。
そして、誰よりも感謝したいのは、月曜日にもかかわらず、
急遽決定したにもかかわらず、参加して下さる観客の方達だ。
被災地の力強い復興を日本中の人々が祈っている。
ささやかながらその支援に役立つことを願いながら今夜は演奏したいと思う。
浜田省吾
2011/4/25
前回の記事、写真をアップしました。
基本、ネタバレはありません〜^^;
日記だから、どうしても書かないと説明が付かない時には、
「続き」に書くか「書きます」と言って書きますね♡♡
今回は、入場する時に引換券をかざすまで席番が分からないので、
どの席になっても良いようにと、強い味方になってくれるグッズを2つ持っていきました。
ひとつは「双眼鏡」。
例え、肉眼で見る省吾が小さくてもこれさえあれば大丈夫!!
でも、上の子が失くしたようで・・・
行く行くは買わなきゃ!と思っていたところに今回の神戸行きが決まって、急遽買いに走ったのです〜
このタイミングでカメラ屋さんのオープニングセールに遭遇したのも「渡りに船」
これは、即、お買い上げ☆ですよね〜^^
そして、もうひとつは「耳栓」。
双眼鏡とは逆の発想で、どんなにスピーカー前の席になってもこれさえあれば大丈夫かな、と思って〜(笑)
実際にはどちらも必要がない位の、夢のような席でした〜
うらんさん、ありがとぉ〜♪

私にとって、大阪・神戸方面で出逢う、初の省吾。。。
並んで会場入りした私たち。
今度はお手洗いを済ませる為に、また並びます。
きょうの開演前のBGMは、どなたの選曲なんだろ〜と想いを馳せる間も無いほど慌ただしく時間は過ぎていき、待ちに待った再会の時。
省吾や私たちの、4月23日のライブはスタートしました!
オープニングから疾走感のある曲が6〜7曲も続いたでしょうか?
当然、観客席は総立ちです♪
省吾の第一声がいつも気になる私ですが、今回はそれよりも5・6回と言わず何度もワイヤレスの調子を気にする省吾の事が気になって気になって。。。
確かに、省吾の声が聴こえ辛かったり音が割れ気味だった感じはあって、省吾自身も何かしらの違和感を感じていたのかもしれませんね。
今回は、新アルバムを引っ提げての物ではありません。
この日を迎えるまでにも、どんな選曲なのかなぁと想像したり、でも、ある時にはイントロが鳴るまで一切考えず、全てを省吾に委ねて楽しもう〜って思ってる自分がいたり。。。
〜*〜妄想中〜*〜妄想中〜*〜妄想中〜
省吾と過ごす魔法のような時間は、あっという間に過ぎ去り。。。
第一部が終わると、いよいよ黄色いロープの出番ですぅ。
ただね、ロープだけならいざ知らず、体格のいいお兄ちゃんがそこにいるのよね。
彼もお仕事だから仕方ないけれど、はっきり言って邪魔だったわぁ〜(笑)
センターステージになって初めて気付いた事、それは。
音が回ってて、特にドラムの音が半拍遅れて聞こえて来るぅ。。。
省吾は歌いにくくないのかな。。。
そのせいなのか分からないけれど「んんん???」って出だしの曲もあって、やり直すよね〜と思っていたらそのまま歌っちゃった☆とか。
ちょっとだけネタバレすると。。。
・前回のFFFの要素が2曲ほどありデス。
・前の記事でも書いてしまったけれど、黄色いロープがあります〜(笑)
・イントロだけでは判断できないぐらいアレンジされてる曲もあります
・10年近く前のFFFでも熱く語っていたあの曲。
省吾自身が思い入れのある曲って変わらないのね〜って思えた曲もありました(≧∇≦)
↑↑↑
これについては、続きを読んでくださぁい (⌒∇⌒)
曲名を書いてるので、クリック注意報、発令中です〜^^
2011/4/24
「我が心のマリア」
1994年12月上旬、撮影先の海外で交通事故に遭った。
一瞬のことだった。
飲酒運転の車が、乗っていたタクシーの前に、突然飛び出してきて衝突した。
救急車で運ばれ、眼の下を8針縫った。
「死ぬ時はこんなものなのか…と、生のはかなさ」を感じた。
帰国する飛行機の中で静かなメロディーと言葉が浮かんだ。
年が明けて、前年から続いていた、
“On The Road 1994”が仙台市体育館でファイナルを迎えた。
その数日後「阪神淡路大震災」が発生した。
そして、震災から2週間後、神戸のことを心配しながら、
難民救済の仕事のために旅立った友人が、赴任先で事故に遭遇し、
帰らぬ人となってしまった。
機上で浮かんだメロディーと歌詞を完成させ、
ロシア人歌手「オリガ」の美しい声で歌われたマスターテープを聴いた時、
これはもう自分の手から離れ、特別な歌になったと感じた。
浜田省吾
2011/4/23
「恋は魔法さ」
1995年、神戸を訪れたのは震災後の春だった。
公園には被災者の方達が暮らすビニールテントが立ち並び、
街のいたる所に地震の爪跡が生々しく残っていた。
初めて神戸で歌ったのは70年代、ソロデビューしたばかりの頃、
文化祭に呼ばれた「神戸商船大学」の講堂だった。
コンサートツアーの中で、個人的な旅行で、
その後何度も神戸を訪れ、その度に楽しい思い出が重なっていった。
その美しい街並みとそこに暮らす人々が傷ついている姿を見るのは辛かった。
復興支援活動に微力でも協力したいという想いで、
東京に戻り、ロード&スカイの仲間達とチャリティー・レコードを作ることにした。
神戸はお洒落で美しい街だ、悲しいメロディーは似合わない。
楽しかった思い出をイメージしながら、この歌を作った。
浜田省吾