12/05付けのブログの続き・・・コンサートプロデューサーである岩熊さんとの出会い。
確かに1983年秋の大分だった・・・浜田さんを初めて撮影したのは、1983年の1月の越ヶ谷。その後も渋谷公会堂、大宮、海ノ中道のイベントほか撮 影を重ねていたが、地方のツアー先でゆっくり長い時間会話をした。当然お酒は一緒。
たぶん浜田さんとも、初めてゆっくりと話したと思う。
その時から浜田さんの僕の呼び方が変わった・・・それまでは「ないとうさん」・・・それからは「じゅんちゃん」。
とほほっであった。別に年齢を偽ってたわけではないのに勝手に年上か同い年と思っていたらしい。
まぁぼくの格好が格好であっただけに・・・。たぶんその晩、熊さんと何件もハシゴした。
そして本当にいろいろな話をした。その時の内容の詳細は覚えてないが、確実に同じような空気を感じ、すごく嬉しかった感覚を覚えている。
その想いは、24年経った今も変わらない。
浜田さんのところには、そんな同じような空気感を持った人間が集まっている。
そしてそれぞれが誇りを持ったプロフェッショナルでありスペシャリスト。
当然浜田省吾本人のエネルギーが中心にはあるが、ここまで30年の長きに渡って続けてこれているのは、そんな周りの人間の同じ空気の共有感があるからだ と思う。
それにしてももう24年前になるけれど、大分で行った上がりのラーメンは本当にうまかったなー。
熊さん御用達のラーメン屋さん・・・屋台のようなラーメン屋さん。まだあるのかな?
食べたいな・・・ほんとっおいしかったもんな、心も出会えたことに満たされていたし。
ぼくは23歳のほんとっ青年のように若かった日々。格好は下駄にサングラスにGパンに、長髪カーリーヘアーだったけれど・・まるでヒッピーのようだった けれど初々しく若かった。浜田さんも29歳、岩熊さんもたぶん28歳。
全員、20代の若さ・・・うーん、20代の響きだけでキューンとなるね。
しかし・・・僕らはまだまだ若い。まだまだ目指しているよ。
そして、今日から松山2days・・・今年ラストのライヴ。
大いに酒を飲んで楽しむぞぉ!!・・・違うか??

今日、最終公演の撮影で松山入り。楽屋廊下にて。
楽屋の廊下はクリスマスの飾りが・・・
最終公演の松山と言うことで、なんとなくスタッフも明るく軽やかな感じがします。楽屋からは笑い声が絶えません。
bY 岩熊