浜田様、スタッフの皆様、徳島ライウ゛お疲れ様でした。昨日のライウ゛は、18年振りに主人と参加しました。相変わらず、スタンディングも拍手もしませんでしたが最後まで付き合ってくれて想い出に残るライウ゛になりました。 私は、28年前からライウ゛に参加していました。'82年に結婚しましたが、当時、「僕の血と汗と涙で稼いだ金を、河原乞食に恵むのだけは止めて欲しい。」と言われました。企業戦士の彼は、お正月も、お盆も、祝日も、土日も休まず、朝早くから、夜遅くまで働く毎日でした。たった1度だけ2週間仕事を休みましたが、胃に三ヶ所も穴があいて血を吐いて倒れて入院した時だけでした。若い頃は仕事が辛くて、何の生産的な仕事もしていない芸術家が大金を稼ぐのが許せなかった・・・そうです。私が、悲しい時、淋しい時、辛い気持を救ってくれたのは浜田さんの音楽だという事を何とかわかって欲しくて'89年1月の名古屋レインボーホールのライウ゛に一緒に行って欲しいと頼みました。営業の仕事をしていた彼は仕事を抜け出して何とか来てくれました。浜田さん関連の何かの書籍にこうありました。【バックステージ2階の最前列のサラリーマン風の男の人がずっと頬杖を付いていたのが気になった】主人の事だとすぐに判りました。その時、15分の休憩の時に仕事に戻るため私と当時5歳だった娘を残して退場しました。曲をかけるとすぐに消されるしグッズのTシャツも着ないで欲しいと言っていたのに、ドライブの時も消さなくなりました。青の時間、サイドシートの影、DANCE, J.BOY等がお気に入りのようです。2年位前からは、日祝お盆お正月は仕事を休むようになり、今回の連休も一緒に徳島まで来てくれました。勤続30年を迎えた主人、浜田さんと同じく一つの事を30年続ける事は大変だったと思います。3月に銀婚式を迎えましたが、浜田さんの音楽が私の人生をずっと支えてくれていた事、やっと理解してもらえるようになりました。
渡邉由美 48歳 女性 兵庫県