前回の宇都宮市文化会館でのライブは99年12月13・14日の二日間。約7年半ぶりのライブ。この会館は80年代半ば頃から使用しているのですが、ずっと二日間公演を行ってきたような覚えがあります。でも今回は一日。
スミマセン。
宇都宮の思い出・・・?関東近郊と言うこともあり、高崎市や水戸市と同じ様に、ライブ終わったらそのまま東京へ戻るし、なかなか泊まることも少なく、その街の思い出など少なくなります。

宇都宮市文化会館の正面

文化会館は大きな公園の一角に建っています。
市内からは車で約10分程のところの住宅街の中にあります。ちょっと遠いかな?
今日は収録が入っていたNHKホールも終わり、リラックスした、NHKホールとはまた一味違ったステージが見られるかもしれません。
宇都宮の思い出ではないですが、同じ栃木県下で演った、2000年4月22日の那須塩原市・黒磯文化会館でのライブは忘れることが出来ません。そうです。内側腓腹筋断裂。いわゆる脹脛(ふくらはぎ)の肉離れをライブ中に起こしたのです。しかもライブが始まって2曲目の「HELLO ROCK’N ROLL CITY」で・・・。今考えても、よくも最後までステージを演ったものだと感心します。感心すると言うよりは驚愕すると言う表現が合っていると思うのですが・・・。
一部が終り、スタッフの肩に支えられて戻って来る浜田を見た時は「これ以上無理だな」と思いました。楽屋で本人と足の具合を聞いた上で、このまま続けるのか ?ライブを中断するのか?と話し合いをした時、「最後まで演る!出来るところまで演る!!」と言った顔と言葉を忘れることが出来ません。
“Midnight Cab”の映像の間、スタッフは固唾を呑んで僕たち二人の結論を待っていました。そして、二部のステージが始まったのです。常に白タオルを投げ入れる覚悟を持って・・・。
あの時、会場にいた方はご存知だと思いますが、本編が終り、メンバーは浜田を気遣いながらも一度は舞台袖に引っ込んだのですが、浜田はマイクスタンドにもたれて動けず、そのままメンバーを呼び戻し、「動けないので、このままアンコールを演ってもいい?」と言って最後までアンコールを演りました。
いや〜あの時の鬼気迫るステージは忘れません。おそらくメンバーもスタッフも、オーディエンスの皆も同じだと思います。
浜田曰く「会場の大音量の中でも、バキッ!!という音が聞こえた」と言っていました。
ライブが終り直ぐに救急病院に行ったら内側腓腹筋断裂との診断が・・・全治3週間から一ヶ月。
「よくも最後まで演りましたよね」ですって・・・。
病院からは車椅子で戻ってきました。
痛々しい姿で・・・。
その後の四日市、名古屋のライブが秋に延期されました。
名古屋は全てのホールツアーのラストに組み込まれ、そのライブで「お・わ・り・名古屋は・・・」のMCに繋がるのです。
ライブは何が起こるか解りません。だからステージは一瞬たりとも目が離せないのです。
いつも無事に終わってほしいと願っています。
今日のステージも・・・。
プロデューサー 岩熊