あまりに過酷な暑い暑い夏だったので、
今も頭の中の季節は夏のままで、
つい着ている物も夏物だったりして、
外に出て暫くして風が冷たいことに気づきます。
2005年秋にスタートした“My First Love”ツアー、
「びわ湖ホール」でのライブが99公演目、
大阪の初日が100本目で、残りが10公演、
いよいよカウントダウンに入ります。
大阪には沢山の「楽しい!」や「切ない…」思い出があります。
本当にいろんな出来事がありました。
その中からひとつ、トホホ…なやつを…。
1979年だったと思います。
ライブハウスで演奏し、それを録音して流すというラジオの仕事でした。
放送局の方からは5曲ほど演奏して欲しい、
その中から2曲くらい放送で使うから…ということでした。
当時はまだバンドのメンバーが固定化していない状況だったので、
急遽ミュージシャンを集めリハーサルをしたのでした。
つまり5曲しかレパートリーが無いバンドだったのです。
早朝の新幹線に乗って大阪に向かったので、ライブの収録時間は昼頃だったと思います。
一曲目は何をやったか覚えていませんが、二曲目は「いつわりの日々」でした。
高い音域の歌で、歌っている途中で喉を潰してしまったのでした。
当時はまだライブの経験も浅く、
理由は寝不足とリハーサル不足だったのだと思います。
とにかく、出ない声を振りしぼり、何とか5曲を終え楽屋に戻ったところ、
客席からアンコールの拍手が聞こえてきました。
ラジオの録音番組ということだったので、アンコールは全く想定していなかったのです。
5曲しか無いレパートリーは全て演奏し終えています。
その上に声も出ません。
結局アンコールに応えることが出来ないまま、大阪を後にしたのでした。
後日伝え聞いたところによると、
ライブハウスのオーナーが「あいつには二度とここで演奏させない!」
と激怒していた…ということでした。
おそらく、客にフルサイズのライブをやると告知していたのでしょう。
放送局、当時の所属事務所、ライブハウス…の間で
しっかりとした打ち合わせが成されていなかったということなのですが、
今でも胸が痛む思い出です。
さて、明後日は大好きな「大阪フェスティバルホール」です。
このホールでの最後のライブになるのかと思うと、感慨深いものがあります。
いいステージにしたいと思っています。
2007年10月22日(月) 浜田省吾