粉雪が舞うほどの季節外れの寒さの中始まった今回の北信越ツアーも、昨日の富山が終わり、残りは福井だけになりました。そう思うと何だか少し寂しいですね。
昨年の金沢市観光会館、今年の長野県民文化会館と、アリーナツアーからホールツアーに変わったはずなのに、まるで大きなライブハウスにいると錯覚するほど、浜田さんやバンドのメンバーの存在感のあるパーフォマンスに圧倒されるコンサートが続いています。
僕はDJだったり、インタビュアーだったり、ディレクタ−だったりしながら、それこそ、浜田さんの北信越で初めての金沢・北国講堂のコンサートの時からずっと、20代の初めの頃から30代や40代の時も、いつも浜田さんの曲やスージを観たり聴いたりしてきたのだけれど、気がつくとそんな自分の立場とは別に、その年齢や状況の中で自分が悩んだり迷ったり、苛立ったり、悲しんでいる時に、浜田省吾という人の音楽にもステージにも、その人柄にもいつも救われたりしてきたのだと思うようになったのはいつの頃からだったのだろう。
今は僕にとって浜田さんは、ちょうど森で道に迷った時に風の通る道をたどれば、出口にたどり着くという「風の通り道」のような存在だったのだと、今は確信しています。皆さんにとってもそうじゃないのかな。
救われたり、元気づけられたり、その本質に気づくことができたり。
能登で地震があってまだ日も浅いけど、昨年の金沢のコンサート前に、能登空港に降り立った浜田さん達とFOB前社長のお墓参りに出かけた時、能登は寒くて、晩秋から初冬の様子で、全員長靴で、小さな田んぼのあちこちにある丘とも呼べないほどの箱山みたいな景色に暗い雲が覆う中で、少しだけ、でもそれは随分遠くの方で雲の間から射し込む光を見ながら浜田さんが「日本の美しい風景だね」と言ってくれた言葉が、あの日曜日からずっと頭の片隅で繰り返されています。
そしてあの地震が他人事ではないのは、近くに住むからだけでなくて、能登の町に住んでいるのがお年寄りばかりで、土地を離れたくはなく、住む場所をなくしてしまった人達が、まぎれもなく僕らの父親や母親の世代であること。その町は、北信越のすべての田舎町と同じように、浜田さんの歌みたいに「メインストリートは短く寂れた映画館とバーが5、6軒」で、僕らは自分を探したい思いで生まれた町を離れ、今も車で2時間くらいの所に住みながらも、そこには帰らない選択をし、今は映画館もバーもなくなった町に年老いた両親を一人ぽっちにさせているのもやっぱり、僕らだからです。
もちろん答えがあると思ってはいないのですが、少なくともそういった現実に向き合ったりする気持ちを、浜田さんのコンサートで感じることが、不思議だけどできるのです。
浜田さんがいつもに増して、音楽や音楽の楽しさやチカラを、身体で体現してくれればくれるほど、中で歌われる30年や20年前の曲がその歌詞やメロディーが珠玉のものであり、その曲を聴きながら同じように時を過ごして、考え感じながら過ごした自分の人生もそれぞれにとっては珠玉なものだと改めてそう感じることができたりもします。
選曲が毎日少しずつ変わるので、どの曲がそうなのか解らないのですが、それぞれの1曲、1曲が時間を重ねるうちに指の隙間からこぼれ落ちてしまった思い出や出来事を急につかもうとして手を握りしめてしまうような、自分の人生への愛おしさを貴方も感じずにはいれないはずです。
何年かぶりに浜田省吾に明日、福井でいよいよ会えますね。やっぱり、やっと会えるが本当の気持ちですよね。
僕も大切な人の娘がまだ少女だったのに、この春高校生。時間は残酷なほどに淡々と過ぎて行きます。
今回のステージで使われる映像は気がつくと光と影が主役。それらを含めて、今までの日々や時間を抱きしめながらも明日からも生きて行くのだからと思えるコンサートです。
誰にとってもそんな思いがいっぱいつまったコンサートになるはずです。
今回の北信越ツアーの最後を楽しんでください。
また、福井で浜田さんと会えるように。
岡崎

昨年、金沢駅での岡崎くんと浜田と町支くん。
岡崎君は自分で書いているように、北陸を中心にDJだったり、FM放送局のディレクターだったり、プロモーターだったり、FOBのスタッフだったり・・・浜田や僕たちとは30年来の親友です。本当にハートのある熱い男です。最近では直接仕事としての関係は無くなってきていますが・・・そこは昔の関係性をことさら重要視する年代の僕たち、益々いい関係に、濃いい関係になりつつあります。いつでも、いつまでも、浜田のライブに来て下さい。
プロデューサー 岩熊